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雑念手帳

サイトの日記ですが、同人サイト訪問者様用に公開されたJUNK妄想雑文メモ置き場兼ねてます。「何となくこのキャラのイメージで出てきた妄想だけど限定はしない」系の小説未満な小話がごっちゃりです。

鋼と2.5人のヒロイン(1)ウィンリィとロゼ
私見ですが、鋼の錬金術師には2.5人のヒロインがいると思ってます。それは、ウィンリィとロゼでまず二人、そしてあと0.5人は……エンヴィー(笑)。
何故そう思うのか、二回に分けて書いていきたいと思います。

1.ウィンリィとロゼの比較 「幼なじみ」VS「旅先で出会うミステリアスな美女」

原作を読む限り、メインのヒロインは間違いなくウィンリィで、ロゼはちょい役のゲストでしかない、というのが素直な感想かと思います。しかし、荒川さんが本編の前に作っていた「プロトタイプ」を見ると、少しその印象が変わってきます。もちろん、プロトタイプはあくまでも鋼本編とは違うし、エドの性格も違います。それでも「沙漠を旅する二人が出会った少女」としてのロゼの存在感はまさにヒロインとしてのそれ。つまり、鋼が短編として終わるならば、明らかにロゼのような「見知らぬ土地で出会った未知の少女」がヒロインとして収まりがよい、ということがわかるわけです。

原作の5巻くらいまでの段階をもとにオリジナル展開を作った一期アニメではロゼの扱いが大きくて、原作を忠実になぞった二期アニメでウィンリィの扱いが大きいのも示唆的です。

まず、一期アニメは、今より遙かに「新人」であった荒川さんの意図を超えたところで、ベテランおじさんプロデューサー・脚本家達が話を作ってしまったという部分があります。良くも悪くも、それで違う方向に話が発展したことは周知の通りです。そして見て取れるのは、ロゼの方がこれらの男性仕掛け人達にとってはイメージを膨らませやすい王道ヒロインだったということですね。
さすがにロゼが子どもを産んだあとの続編映画のシャンバラでは違うヒロイン、ノーアが出てきましたが、これが更にミステリアスなロマ族の「旅の女」であることはやはり特徴的です。ノーアは落ち着きを運んでくる存在などではなく、少年を更なる旅にいざなう存在。どうも一期の仕掛け人はそっち系のミステリアスヒロインつくりに走って行く。
そしてシャンバラに於いてウィンリィは「もう待たせてくれないんだね」とか言わされちゃうわけで。

これは驚くことでも何でもなく、もともと旅する(日常系ではない)少年漫画の王道は「旅先で出会う未知の女性」です。70年代の超古典、銀河鉄道999のメーテルは典型例。80年代になると日常系ラブコメ系の少年漫画(あだち充とか高橋留美子)の中で「幼なじみ」ポジションの女性が出てきてヒロイン(大抵は高校などで初めてで会う女性)の強力なライバルになるという図式があり、90年代に入ると更に幼なじみが優勢にすらなる傾向(ドラクエ5など)もありますが、逆に言えばそれだけ、もともとは「大人になってから出会う未知の存在」が強かった、ということではあると思います。
(参考:「一体いつから───────幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた? - 藤四郎のひつまぶし」 http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130205/1360039451)
実際には少年はいつか年老いて、中年となり「未知」だった女性と結婚して家庭を築いたりするわけですが、それでも性懲りなく少年漫画では「謎めいた未知の女性」ヒロインが量産されているわけです。
一期アニメはそういうわけで、少年および中年男性の欲望に忠実に、旅する少年用ヒロインを前面に出した作品となっていました。


対して、二期アニメおよび原作は、「幼なじみヒロインが強い」展開の典型です。それに加えてもう一つ私が感じたのは、実に女性の、もう少し正確に言い換えれば「ヘテロセクシュアルで安定志向の強い女性」の欲望に忠実な展開だなあ、ということでした。というのも、「幼なじみ」ポジションを保持しながら、仕事と結婚、出産とエスカレーター式に手に入れるウィンリィはヘテロ女性の「ザ・安定」を体現するように見えるからです。恋人を亡くして傷心のロゼ、迫害される旅人のノーアなどと比較すればその人生の安定度は半端ありません。
まず、少年エドは外の世界に出るけど故郷に帰ってきます。そしてウィンリィは「幼なじみ」からそのまま主人公の嫁になり、母となる。この展開、物語の流れとしてはエドが自主的に決断してリゼンブールに戻ってくるわけですが、ウィンリィの側からみると実に都合がよい。実際、彼女は全く何も失っていません。幼なじみで兄弟のように育った同じ髪の色をした少年と、ちょっと冒険したあと居心地のいい家庭的で清潔な世界を作る。しかも夫となるエドは適度に外で「冒険」し、飼い慣らされているわけではない男性性を示し(「つまらない男じゃない」と思わせてくれる)ながら、肝心なところでは家庭生活の枠に収まってくれるわけですから。マスタングみたいに危険でよくわからない壮大な野心に直接邁進するわけではありません。「安定したい」タイプの女性の願望のスケールに収まってくれるのです(実際にはあの世界だから、エドも危険なことをするのでしょうが、漫画の範囲ではそこは描かれていません)。
この辺色々考えると、二期(原作)のウィンリィは勝利する「幼なじみ」ヒロインであるだけでなく、堂々たる欲望の主体という感じすらします。

長くなったので、この辺で一回切って、次回は私の本命であるエンヴィーとウィンリィについてその違いっぷりを書きます。
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