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イノセント(4)

イノセント(3)のつづきです。

4.ファンタジー


(確かに、恋をしたことはないのかもしれない。)

家にで風呂に入ってるとき、急に先刻の会話が思い出された。

(というより、他人の存在がまるで目に入ってなかった。)

何の因果か、あの日生き延びたこの身体はすくすくと育ち今年でもう16歳になった。


自分は周りよりきっと早く年老いる。ずっと子供の頃から、何故かそう思っていた。
まるで最初から全てが終わってしまっているような気がしてならなかった。

なのに鏡をみるとガキの顔がある。
まだ何も知らず、何一つ始まってすらいなさそうな、間の抜けた白い柔らかい肌をしたコドモがいる。
精神と釣り合いが取れていない感じがして、いつも居心地が悪かった。
だから、たまにそんな俺の外見に惹かれて寄ってくるやつがいれば必ず遠ざけた。
当惑でしかなかったからだ。

身体が成熟していくのもどこか他人事のように眺めていた。
欲望だけが機械的に訪れた。
「処理」という言葉以外思い浮かばないような形で。

だから人を好きになる——ということは、まるで遠かった。

家族や、数少ない友人への思いは別として。



「お兄ちゃん、ねえ、まだ入ってる?」

声がして、我に返る。アヤだ。
妙なことを考え込んで時間を無駄にしていたと気付く。

「ああ、ごめん。もうすぐ出るよ。」

早く寝なきゃならないくせに、好きなドラマが見たいといって俺に先に入らせたのだ。
あの日、俺と共に救い出された妹ももうじき11歳。去年くらいから俺とは一緒に風呂に入らなくなった。
秘密を持つようになった。寂しいようでほっとするような、兄としては不思議な気持ちだ。



風呂から出て時計を見るともう十時だった。
叔母さんはまだ帰ってこない。
最近こういうことが増えてきて、俺は少し心配していた。
高校に入った頃から、少しずつ叔母の仕事の話を聞くことが増えていたので知っていた。少し前、会社にひどいリストラの嵐が吹き荒れ人員削減したのだがその余波で絶対的な人手不足らしい。
特に今年度に入ってからは残業をして終電間際に帰ってくる日が週に2,3回はあるようになった。
俺が高校生になり、絢も高学年になって手がかからなくなったから安心して仕事に打ち込める、ということかもしれないが、それにしても頻繁なのだ。

当然食事を作る人がいないわけだから、三谷ほどでないが俺もずいぶん料理がうまくなった。絢も健気なくらい自分のことは自分でやっている。





金髪の紳士に再会したのはほんの偶然だった。
いつものバイトの帰り、俺はまた同じ本屋にいたんだ。
前回書棚に戻した本をまた買うべきか悩み、結局諦めて別の本を手に取りレジに並んだ。諦めたのは英国の作家が書いた魔法と剣のファンタジー小説だ。さほど分厚くはないのだが、ご立派な装丁のせいで結構高かった。

そしたらとなりの列、斜め前方にあの男がいた。
最初足元ばかり見ていて気付かなかったが、ふと横を見たとき背の高い明るい金髪が目に飛び込んできて気付いた。そのくらい目立つ風貌だった。
すると、何の偶然だろう。その途端相手が振り向き目が合った。
しかも男は俺を覚えていたようだ。あれ、また会いましたね、そう言って微笑む。

「その本…買うんですか。」

俺はつい男の手元の本に目がいってしまった。さっき俺が諦めた本だった。一冊しかなかったはずだけど、レジに来る前に俺は少し寄り道したからその間に男が手に取ったのだろう。何という偶然。

「ええ。」

答えは分かり切っていたはずなのに、こんなスーツを着たいい大人がこれを買うのか、という眼差しでつい相手を眺めてしまった。
もちろん俺だって今時ファンタジーくらい誰でも読むとわかっている。目の前の人間が、例えばだが、いかにもシステムエンジニアやプログラマといった外見だったら何も驚きはなかっただろう。だが男にはそういったものを連想させない風情があったのだ。それが何なのかはこのとき、俺にはうまく言葉にできなかったのだが。
相手は俺の視線に何かを感じとったのだろう。軽く微笑み言った。

「仕事の合間に、息抜きですよ。アメリカ人はSFや異世界の話は大好きですからね。」


列が進んで俺たちはほぼ同時に本を買った。
支払いが終わったときだ。また相手が話しかけてきた。買ったばかりの本を包んだ袋を指さして笑う。

「あなたもこういう話が好きなのですか?例えば、ええと、ユビワ物語ですとか。」
「ええ。ロード・オブ・ザリングはこの間、友達に借りてみました。」

三谷の顔が浮かび、つい顔が緩んだ。見知らぬ人間の前にいることを一瞬忘れた。

すると僅かの間沈黙が落ち、次に唐突な台詞が飛び込んできた。


「ならこの本はあなたにあげますよ。私は別に今買わなくても良い。」
「…えっ、いえ、そういうわけには。」

「もしも気が進まないのでしたら、読んだ後返してください。連絡先はこちらです。」

そういって男は胸ポケットから万年筆を取り出し、やおら本の包み紙に走り書きで携帯電話番号を書きはじめる。まるで相手の反応など構っていない。これだから外人は、と帰国子女時代の朧気な記憶と偏見の混じった当惑が俺の頭を駆けめぐる。

「いや、いいですよ。僕は…」

必死で押しとどめようとしたが、そのとき相手の携帯が鳴った。

「おっと、失礼、電話です。Hello?」

流れるように言語がスイッチして、英語の会話が始まる。かなり早口で、込み入った構文と金融系のテクニカルタームらしきものが連発され、俺にはほとんど付いていけなかった。
しかも内容は少し深刻だったようだ。和やかな表情がみるみる緊張し、通話が終わった後一つため息までつく始末。

そして、俺の方に向き直るとこちらが言葉を差し挟む隙も与えずに言うのだった。

「すみません、私はすぐにオフィスに戻らねばなりませんので、これで。」

そのまま呆然としている俺の前で紙袋を俺に押しつけ、男は消えた。



男の後ろ姿が見えなくなってからようやく、どうせ返却するつもりならむしろ郵送のための住所を聞けばよかったと気づき、と俺は後悔した。
このままでは道で出会っただけの胡散臭いガイジンに電話をするはめになってしまう…!

そこまで考えてから、待てよ、と俺はようやく冷静になる。
だいたい勝手に本を押しつけてきたのは向こうだ。しかももともと俺が欲しかった本を。
ならばこのまま、もらってしまえばいいじゃないか。
実際、これがアメリカだったら絶対俺はそうするだろう。見知らぬ人間に連絡などしない。


なんだ。簡単じゃないか。
遠慮すること無いんだ。好意はありがたく受け取っておけばいい。







次の日、三谷がうちに遊びに来た。学校ではちょくちょく顔を合わせていたが家に来るのは久しぶりだった。

実は俺にとって三谷はファンタジーオタク話をする相手でもあった。
あいつがよくそれ系のゲームや漫画、本を読んでいたからだ。
中学に入ったあたりからか、向こうがどんどん貸してくるから俺もつられて読んで、そのうち俺は独自に洋書に手を広げるようになり、あいつもケルト神話が面白いとか言い出して、高校生の今でも話は尽きなかった。(端から見れば結構危ない。)
そういえば自分が時々夢に見る不思議な世界の話も、その流れで一度だけしたのだった。
——ただ、そのときは三谷の反応が奇妙に鈍かったものだから、一人で話してて恥ずかしくなり、以後は一度もしてないのだが。


案の定部屋に入るなり三谷は本棚を見て、めざとく昨日の洋書を見つけた。
うわ、立派な本だね。これどうしたの?と訊いてきた。

俺はとっさにあの変な外人のことを思い出さざるを得なかった。

自分で買ったと言えばよかったのに、気付いたら「本当はこの本返さなきゃいけないんだ」などと余計なことまで話していた。


何故って、相手が三谷だからだ。


どうかしてるよな。

でも、


お人好しといると、こっちも何だか変になってくるんだ。




(5)につづく
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