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雑念手帳

サイトの日記ですが、同人サイト訪問者様用に公開されたJUNK妄想雑文メモ置き場兼ねてます。「何となくこのキャラのイメージで出てきた妄想だけど限定はしない」系の小説未満な小話がごっちゃりです。

エンヴィーとリン
先日、エンヴィーとリンについて短い話をうpったので記念に絵も描きました。リン・ヤオは人気キャラで、正直なところ私は彼のことをあまり理解出来ている自信がありません。その魅力に気づいたのも大分あとになってからです。
たとえばエンヴィーがリンを「お前」呼わばりし、リンがエンヴィーを「あんた」と呼ぶなど、微妙な力関係が二人の間にはあるようなのですが、そのことに気づいたのも大分最近でした(しかも気をつけていたつもりなのに、小説ではあやふやになるなど…)

そして今でもリン自体に凄く萌えているのかと訊かれると、どうだろう、と答えてしまうでしょう(まあ、誰も質問してくれたりはしないんですが)。
その一方で、他の作家さんが書かれたリン・ヤオの物語を読むのは大好きです。リンの目線から見えた世界を語っているような作品は特に好きですね。

私はどうも、リンを「一番信頼に足る語り手」のような存在として捉えているようです。いつまでたっても、その目が曇らない人、という気がする。かわいそうなのだけど、少年の時から、不幸にもオトナになりすぎていて、だからブレない。変わらない、というふうにみえるのです。
多分、エドとの比較でそう捉えてしまっているのだと思う。

原作の最終巻近くになってわかったのは、エドが「変わっていく存在」だということでした。家を燃やしてまでやろうとしたこと(賢者の石で身体を取り戻す、など)が実は不必要だったとわかったり、必死になって会得した錬金術を惜しげも無く投げ捨ててしまったり。
強がって背伸びしていた少年から、穏やかな眼差しの青年へ、そして父に。人間が環境にあわせて、成長と共に変わっていく(変わっていってしまう)ことを、エドというキャラは鮮やかすぎるくらいにみせてくれました。
でもだからこそ私は、エドの視点で小説を作るようなとき、どうしても「この人は、十年後にはこの気持を覚えていないかも知れないなあ」というような気持で彼を描写してしまいます。
別に記憶喪失になるという意味ではないですよ。ただ、エドは過去をあっさりと過去に出来る人というか、「あんなこともあったなあ」と微笑みながら何でもセピア色にしてしまうような人という気がします。良くも悪くも、生活する人の健やかなたくましさみたいなものを持ってる人だと感じるのです。

一方、リンという人は作中でどこまで変化したのか。もちろん、旅で何かを得たことは間違いないでしょうけれど、でも根本的なところで、彼は運命のようなものから逸脱することができない、変わらない人であるようにみえます。
彼の人格は通常の人より早く完成されてしまっていて、だからこそゆるがないけれど、同時に、どこかに研ぎ澄まされた少年のような精神を残したまま、生きていかねばならないのではないか。完全に安心して世界と和解しきることはできない。ただ知性と経験により賢くなり、大人になっていく。皇帝になる。ただの想像ですが、とりあえず私は、勝手にそのように解釈しています。
でもそういう人の方が、醒めた目であらゆることを記憶してくれていそうに感じるのです。


…まあ、リンについては読みが甘いのかもなとは思いますけど。そういう妄想をしてるってことで。




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