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雑念手帳

サイトの日記ですが、同人サイト訪問者様用に公開されたJUNK妄想雑文メモ置き場兼ねてます。「何となくこのキャラのイメージで出てきた妄想だけど限定はしない」系の小説未満な小話がごっちゃりです。

「戦場にワルツを」と忘れ方のリアル
ついったで短文をまき散らしてる反動か、時々ブログ書くとくそ長くなるのもよくないなと思いつつ…^^;

すこし前(一ヶ月くらいかな…)ですが、イスラエルのアニメーション「戦場にワルツを」を見ました。


公式サイトはこちら
この予告編だけで何か伝わってくるもんがあると思いますが、いや、すごかったです。
まず映像について、ジャパニメーションとはまた違った形の洗練というか、こういうアニメの動かし方、表現法もあるのか、という気にさせられた。
あと、アニメでのドキュメンタリという、アニメでなければ出来ないことと、これがアニメなのか?という気にさせる部分とが融合した不思議な作品でもあります。

話についてなのですが、扱っている内容が内容だけに、これって何の話?と思われる方も多いと思うので、もし関心を持った方は、以下、ネタバレは極力ふくんでいないつもりの解説&感想ごらんください。
物語は、40代になったイスラエル人の主人公達が、二十年前(1980年代)の戦争を振り返るという形を取っています。

彼等は1980年代にレバノンという国に派兵されていました。レバノンは色々複雑な事情があり、キリスト教系とイスラム系で内戦が続いていたのですが、80年代になるとキリスト教系に肩入れしたイスラエルが本格的に介入しました(レバノン戦争)。
アニメは、その経緯のなか、親イスラエル的だったキリスト教民兵組織により、ベイルート近郊のパレスチナ難民キャンプでなされた虐殺事件をテーマにしてます。

主人公はその当時のことがどうしても思い出せない。特に、酷い虐殺があった前後のことが完全に記憶から抜けていて、それが気になってしかたがない。近くにいたはずなのに、自分はそのときどうしていたのか。それに関わったのか、関係がなかったのか…。
友達は、思い出せないのならやめろ、忘れるのはそれが必要だからだ、と止めます。だけど当時のことを聞くため、主人公は色々な友人と会って話してみる…という形で物語は進みます。

これはイスラエルのアリ・フォルマン監督の実体験にも基づく物語だそうです。

このアニメで印象的なのは、それが「近い時代の戦争」だということでしょうか。
1980年代だから、まあ、過去といえば過去なんだけど、例えば兵隊が一日休暇を取って都会をぶらつき、クラブやディスコに行き、次の日飛行機でまた戦場にもどって戦車で大砲撃ってる、みたいな風景が出てくるんですね。都会の若者と戦場が直線でつながってて、妙に生々しく感じる。

いわゆる戦争映画的な破壊シーンなんかは、実は驚くほど少ないです。むしろ、ちょっと見には戦争ってこんな平常心でやれるもんなのか、と感じるくらい。記念撮影したり、まるで林間学校や企業の研修を見るような情景が出てくる。だけど合間合間に、気づくと隣の奴が撃たれてたり、夜中に死体処理を命じられたり、というエピソードが入ってきて、はっとさせられるわけです。

いや、それだけじゃないな。血が見えないシーン、何気ないはずのシーンが、ものすごく鮮烈ですね。フラッシュバック的な強烈さがある。アニメ自体がフラッシュバック的な過去の追憶をテーマにしてるから、これは実に適切なんですが。
例えば、死体をつつむ銀色のシートがきらきら人工照明で光るシーンがあったかと思えば、真昼ののどかな平野を戦車が延々と行進するようなシーンがくる。
すごくどうでもいい、日常の断片が無秩序に並べられて、整理されてない、セピア色になってない時間の断片が並列される。その計算された無雑作感が…うまい。

この映画に対して、一方的にイスラエル人である青年の目線で描かれていることに疑問の声もあったそうです。例えば、難民であるパレスチナ人たちは徹底して顔のよくみえない、ただ黙って歩いていたり、恨めしそうな顔でにらんでいたりするだけの存在のように描かれている。
しかもそれで何があったか忘れてしまった、という男性が主人公なわけだから、何か責任逃れではないか?と感じた視聴者もいたようです。イスラエルは今でもパレスチナ問題を抱えてて、難民キャンプをメチャメチャにしたりしてますから、尚更その印象を強めたことでしょう。

だけど見て思ったのは、逆説的にも、このリアリティの失い方が、不感症になったみたいな状況認識が、実にリアルだなあ、ということでした。

自分たちと異なる民族を同じ人間として認識する間もなく(当然顔など思い出せない)、何でこんな事をしているのかわからないなと思いながら淡々と平野を行軍する。気がついたら側に死体が転がってて、ただ逃げている。たとえ死ぬ思いをして生き残ったとしても、仲間を見捨てたという目で見られ、自分も自己嫌悪感に苛まれて精神の安定を崩すか、または記憶にフタをして、本当にいろんなことを忘れてしまうか。だけど、そうなると夜に変な夢ばかり見るようになり…という。

戦争体験などの強烈な体験を振り返るのは、心にかなりの余裕ができてからじゃないと難しいとはよくいわれますが、それが加害側のものである(もしくはそれに近い)場合は特にそうなのかもしれません。
たとえば司令官など責任があってある程度の距離をもって状況を見れた人とか、または何十年も経ってからじゃないと厳しいのかもしれない。あまりのしんどさに、そのくらいの距離がないと心が無意識のうちに過去から自我を防衛してしまい、振り返ることすら容易でない。あるいは、一生直視することが出来ないまま死んでいくのかもしれない。
人の精神は意外と罪に耐えられないものかもしれない。
この物語の終わり方(ネタバレになるから詳細は言いませんが)こそがそもそも、雄弁にそのことを物語っているのかもしれません。

そんなことを色々と考えさせられる作品でした。
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