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気がついたら鋼サイトの方が5周年を迎えてました。
早いなあ。
何だかあっと言う間で、でも思い返せば色々なことがありました。地味に人生で一番変化があった5年間だったのかも。
サイトの更新がすっかり鈍ってしまってますが、エンビたんのことはずっとずっとだいすきです。ここまで好きでいたので、これからもひっそりずっと好きなような気がします。
最近忙しい中にもちまちま鋼を読み返したりしてたのですが、どうひいき目に見ても、エンビたんはあまり作者の方の思い入れがあるキャラではなかったんだな、と改めて思いました。いや、ま、確信はあの伝説の初期設定エンビたんを見たときに訪れていたわけですがw
アレを見るまでは私、心のどこかでまだ誤解してたんですよ。エンビたんはワンノブゼム、大勢の雑魚の一人ではなく、物語の中核にいて、主役エドワードと対をなす存在として生まれたのだろう、でも少年漫画だから抑えめの記述になったんだろうとか何とか。勝手に妄想しつづけてました。でも違った。
エンビたんはほんとに偶然のアクシデントのようにこの世に生まれてきたのですね、きっと。
ちなみにこの思い込みの背景には、もう一つの誤解があって、こんな事書くと怒られそうだけど、でも書いちゃうと、私、最初の頃はどちらかというと「適当に作られた」のはウィンリィちゃんなのカナー、とか、思ってたんですよね(ゴメンナサイゴメンナサイ)。
「少年漫画だし、とりあえず読者のために美少女でも与えとけ」的なノリで作ったんだろうと。
だから、エンビたんの方が作者のオルターエゴといういうか、光のヒーローであるエドと対をなす「もう一人の主人公」的存在で物語の核心に触れているに違いない!とか勝手に思いこんでて、エンビたんが劇的な最後を遂げたときはその気持ちがマックスになりました。
もちろん、最終回にきたときは流石にアレ?となったわけですが、それでもどっかでその可能性を信じてた気がする。
だけど、全然違ったんですね。色々調べていくほど、むしろその真逆であったことがわかってくる。
つまり、どう考えてもエンビたんの方が「とりあえずバランスとるために、そこそこかわいい顔を入れておくか」と、偶然のような経緯で生まれたキャラであり、ウィンリィちゃんの方がむしろ作者が思い入れを持ってきちっと最初からデザインされ、描かれてきたキャラである可能性が高い(途中ちょっと忘れてた?って気がしないでもないけど)。
これに気づいたときは地味に衝撃でした。どういう衝撃かって言うと、いやー、世の中にはほんとに自分と全然違う人間がいるんだなっていう驚きですね。当たり前と言えば当たり前なんだけど、実感したんです。それと、マンガの才能っていうものが何なのか、とてもよく分かった気がした。
私はウィンリィちゃんがすごい「いい子」で普通なもんだから、こういうキャラを思い入れを持って作るのは物語の作り手としては難しいだろうって勝手に思いこんでいたんです。要は自分が理解出来ないタイプ、自分の頭の中からは全く出てこない類の女の子なもんだから、完全に勘違いしてたんですね。
でも荒川さんは、そういう「普通」にこそ思いいれがあって、それでいながらこの私の心に響くエンヴィーのようなキャラを(あまり思い入れなく)作れちゃう。これはもう才能だなと。荒川さんの頭はキャラに命を吹き込めるんだと。
そう気づいて以来、ウィンリィちゃんを動かせるかっていうのが割と私の中で二次創作の挑戦になったりもしたんですが、まあそれは別のお話。
とまあ、この辺もふくめて、鋼はほんと色々なことを考えさせてくれる作品でした。
そしてエンビたんはいつまでもえっちでエロかわいくて、ほんとに最高!
早いなあ。
何だかあっと言う間で、でも思い返せば色々なことがありました。地味に人生で一番変化があった5年間だったのかも。
サイトの更新がすっかり鈍ってしまってますが、エンビたんのことはずっとずっとだいすきです。ここまで好きでいたので、これからもひっそりずっと好きなような気がします。
最近忙しい中にもちまちま鋼を読み返したりしてたのですが、どうひいき目に見ても、エンビたんはあまり作者の方の思い入れがあるキャラではなかったんだな、と改めて思いました。いや、ま、確信はあの伝説の初期設定エンビたんを見たときに訪れていたわけですがw
アレを見るまでは私、心のどこかでまだ誤解してたんですよ。エンビたんはワンノブゼム、大勢の雑魚の一人ではなく、物語の中核にいて、主役エドワードと対をなす存在として生まれたのだろう、でも少年漫画だから抑えめの記述になったんだろうとか何とか。勝手に妄想しつづけてました。でも違った。
エンビたんはほんとに偶然のアクシデントのようにこの世に生まれてきたのですね、きっと。
ちなみにこの思い込みの背景には、もう一つの誤解があって、こんな事書くと怒られそうだけど、でも書いちゃうと、私、最初の頃はどちらかというと「適当に作られた」のはウィンリィちゃんなのカナー、とか、思ってたんですよね(ゴメンナサイゴメンナサイ)。
「少年漫画だし、とりあえず読者のために美少女でも与えとけ」的なノリで作ったんだろうと。
だから、エンビたんの方が作者のオルターエゴといういうか、光のヒーローであるエドと対をなす「もう一人の主人公」的存在で物語の核心に触れているに違いない!とか勝手に思いこんでて、エンビたんが劇的な最後を遂げたときはその気持ちがマックスになりました。
もちろん、最終回にきたときは流石にアレ?となったわけですが、それでもどっかでその可能性を信じてた気がする。
だけど、全然違ったんですね。色々調べていくほど、むしろその真逆であったことがわかってくる。
つまり、どう考えてもエンビたんの方が「とりあえずバランスとるために、そこそこかわいい顔を入れておくか」と、偶然のような経緯で生まれたキャラであり、ウィンリィちゃんの方がむしろ作者が思い入れを持ってきちっと最初からデザインされ、描かれてきたキャラである可能性が高い(途中ちょっと忘れてた?って気がしないでもないけど)。
これに気づいたときは地味に衝撃でした。どういう衝撃かって言うと、いやー、世の中にはほんとに自分と全然違う人間がいるんだなっていう驚きですね。当たり前と言えば当たり前なんだけど、実感したんです。それと、マンガの才能っていうものが何なのか、とてもよく分かった気がした。
私はウィンリィちゃんがすごい「いい子」で普通なもんだから、こういうキャラを思い入れを持って作るのは物語の作り手としては難しいだろうって勝手に思いこんでいたんです。要は自分が理解出来ないタイプ、自分の頭の中からは全く出てこない類の女の子なもんだから、完全に勘違いしてたんですね。
でも荒川さんは、そういう「普通」にこそ思いいれがあって、それでいながらこの私の心に響くエンヴィーのようなキャラを(あまり思い入れなく)作れちゃう。これはもう才能だなと。荒川さんの頭はキャラに命を吹き込めるんだと。
そう気づいて以来、ウィンリィちゃんを動かせるかっていうのが割と私の中で二次創作の挑戦になったりもしたんですが、まあそれは別のお話。
とまあ、この辺もふくめて、鋼はほんと色々なことを考えさせてくれる作品でした。
そしてエンビたんはいつまでもえっちでエロかわいくて、ほんとに最高!
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