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5.雨宿り
外人の名前はボリスというらしかった。
実はそれすらも把握するのに2、3日かかった。あの日押しつけられた洋書の包み紙の上、携帯番号と共に殴り書きされた文字はお世辞にも美しいとは言えず、最初の文字が「B」、次が「O」であるらしいことはすぐわかったものの、続く文字がまるで判別が付かなかったのだ。読めたのは偶然だった。
土曜の午後、区の図書館から帰ってきて借りた本を机に置いたとき、そばに放置してあったぐしゃぐしゃの包み紙を捨てようとした。そのとき急にひらめき、「Boris」であるらしいと気づいたのだ。姓は書いてなかった。
人とは奇妙なもんで、ミミズののたくった記号のようにみえていたそれが読めた、と思った瞬間ゴミ箱に捨てるかどうか迷った。決心のつかないうちにインターホンが鳴り、俺は結論を先延ばして玄関に出た。
訪問者は三谷だった。先日に続きこんなに間を開けないであいつが来るのは珍しかった。
急にゴメン、家出る前に一応携帯にかけたんだけど出なかったからさ、来ちゃった。
え、と思ってみたら着信があった。図書館に寄ったときからずっと音を消してたから気づくのが遅れた。
コンビニに出かけるついでにこないだ借りてた本を返そうと思ったのだという。相変わらず文化系なつきあいの俺たちだった。
部屋に入れた途端、雨が降り出した。今年は梅雨が遅いと思っていたけれどそろそろシーズンだろう。ここ二、三日は空も灰色で冴えない。でも雨の降る週末は嫌いじゃない。
迂闊にも傘を持ってきていなかった三谷は自然と帰る気をそがれ、俺も、飲み物でもどうだと雨宿りを勧めた。叔母は休日出勤で帰りが遅い。絢はといえば友達の家に遊びに行っている。
小一時間もとりとめもなく話していたころだろうか。時計を見るともう5時を回っていた。突然、三谷の携帯が鳴った。
三谷が急いで机の上に置かれたそれを取る。だが、画面の発信番号を見た途端、明らかに戸惑った表情をして手を止めた。
電話は4、5コールほど鳴り、出なくて良いのか?とつい俺の方が口に出した途端、ぷつりと切れた。三谷はずっと携帯を手で持ったまま静止していて、故意に無視したのか、ためらっているうちに相手が切れたのかはわからないタイミングだった。
ぱたりと力が抜けたように三谷が携帯を元の場所に置く。無言のままだ。微妙な沈黙が流れた。先に向こうが口を開いた。
「今の…こないだの女子。」
「何だ、ストーカーにあっているのか?」
「違うよ。そんなんじゃない。」
ほんの冗談のつもりだったのが、三谷が妙に真剣な声で応えたから俺はちょっと鼻白む。
「じゃあ何だよ。」
「…友達でもいいからって言われて…」
要約すると、もともとクラスの行事だかなんかの事務連絡の関係でお互いの携帯電話番号を交換して知っていた。その後、すこし経ってから好きだと言われた(つまりこの間だ)。三谷は振ったのだが、その後も時折こうして電話がかかってくるのだという。
「かけてくるなって言えばいいじゃないか。」
「でも、こうして時々、本当に何気ない世間話みたいなのをするためにかけてくるだけなんだよね…。それを拒絶するっていうのも難しいよ。」
「で、つきまとわれてる訳か。バカだなあ。」
俺はため息をついた。三谷らしいとも思った。褒められたことかは知らないが、俺はこういう場合、割と血も涙もなく相手を拒絶出来るタイプだと思う。というかそもそも、大抵はそんな事後のアプローチが不可能になるくらいきっぱりと振ってしまうのだが。
「いや、つきまとわれているっていうほどじゃないし…友達になりたいっていうのは嘘じゃないと思うんだ。ただ僕が時々ちょっと戸惑うだけでさ。」
「お前の方はどうなんだ。そいつと本当に友達になりたいのか?」
三谷のあまりの歯切れの悪さに、他人のこういう話に深入りするのは野暮だとわかっていながらも、ついつっこんでしまった。
「…いや、うーん…わかんない。」
そして、実はこないだ二人で一緒に映画見に行こうと誘われて断った、と墓穴を掘るような余分な情報を付け加えた。俺はため息が出た。
「なんだ、結局どっちも割り切って友達ゴッコ出来てないんじゃないか。ならばちゃんと拒絶するか、または試しにでも付き合ってやるかどっちかにしろよ。丁度あと一、二ヶ月もすれば夏休みだし、ひと夏の思い出が出来るぜ。」
思った以上に辛辣な調子の言い方になり、三谷がムッとした声をあげる。
「…まるで、わかってるみたいな言い方だね。確かに正論ではあるけど。」
ロクな経験無いくせにえらそうに、と言いたげだった。
「僕は試しに付き合う、なんて考え方出来ないよ。したくもないし。芦川とは違うんだ。」
「悪かったな。俺はただ、折角かわいい子と知り合う機会があったんだから、半端なことするくらいなら出会いを生かせ、と言っただけだ。」
実をいうと未だに相手の女の顔をはっきり認識してはいなかった。だが、俺のクラスの男子の一人がうらやましがっていたので、おそらくそこそこの容姿なのだろうと判断しただけだ。
相変わらずこういうのにかけては口先だけの俺だが、それでも痛いところを突いたのだろう。三谷は口をへの字型にゆがめてそっぽを向いた。
「…かわいいんだろうけど…別にあんまり好みじゃない。相手には悪いけど。」
「はぁ。お前の好みってどんなだ。そんなに理想高いのか。」
俺は何だかイライラしてきて、売り言葉に買い言葉で、思い切りやる気のない質問をぶつけただけのつもりだった。だが、すると三谷が急に押し黙り俺を見る。
まっすぐに視線を合わせてきて、思わず俺は、こいつ黒目の部分が大きいよなとどうでもいいことを思う。
次の瞬間、まるで想定外の台詞が耳に飛び込んできた。
「僕の昔好きだった子は多分…芦川に似てたよ。」
唐突さに話のつながりを一瞬見失う。
気づくと問い返していた。
「それ……男?女?」
どうしてこういう質問思いついたんだろう。ガキの頃の俺に似ている女なんていくらでもいるだろうに。慌てて打ち消そうとした。
「いや、まあ、冗談——」
「男だよ。」
やけにきっぱりと響いた。俺は思わず窓の方に視線を向ける。まだ雨は降り止まない。
イノセント(6)に続く
外人の名前はボリスというらしかった。
実はそれすらも把握するのに2、3日かかった。あの日押しつけられた洋書の包み紙の上、携帯番号と共に殴り書きされた文字はお世辞にも美しいとは言えず、最初の文字が「B」、次が「O」であるらしいことはすぐわかったものの、続く文字がまるで判別が付かなかったのだ。読めたのは偶然だった。
土曜の午後、区の図書館から帰ってきて借りた本を机に置いたとき、そばに放置してあったぐしゃぐしゃの包み紙を捨てようとした。そのとき急にひらめき、「Boris」であるらしいと気づいたのだ。姓は書いてなかった。
人とは奇妙なもんで、ミミズののたくった記号のようにみえていたそれが読めた、と思った瞬間ゴミ箱に捨てるかどうか迷った。決心のつかないうちにインターホンが鳴り、俺は結論を先延ばして玄関に出た。
訪問者は三谷だった。先日に続きこんなに間を開けないであいつが来るのは珍しかった。
急にゴメン、家出る前に一応携帯にかけたんだけど出なかったからさ、来ちゃった。
え、と思ってみたら着信があった。図書館に寄ったときからずっと音を消してたから気づくのが遅れた。
コンビニに出かけるついでにこないだ借りてた本を返そうと思ったのだという。相変わらず文化系なつきあいの俺たちだった。
部屋に入れた途端、雨が降り出した。今年は梅雨が遅いと思っていたけれどそろそろシーズンだろう。ここ二、三日は空も灰色で冴えない。でも雨の降る週末は嫌いじゃない。
迂闊にも傘を持ってきていなかった三谷は自然と帰る気をそがれ、俺も、飲み物でもどうだと雨宿りを勧めた。叔母は休日出勤で帰りが遅い。絢はといえば友達の家に遊びに行っている。
小一時間もとりとめもなく話していたころだろうか。時計を見るともう5時を回っていた。突然、三谷の携帯が鳴った。
三谷が急いで机の上に置かれたそれを取る。だが、画面の発信番号を見た途端、明らかに戸惑った表情をして手を止めた。
電話は4、5コールほど鳴り、出なくて良いのか?とつい俺の方が口に出した途端、ぷつりと切れた。三谷はずっと携帯を手で持ったまま静止していて、故意に無視したのか、ためらっているうちに相手が切れたのかはわからないタイミングだった。
ぱたりと力が抜けたように三谷が携帯を元の場所に置く。無言のままだ。微妙な沈黙が流れた。先に向こうが口を開いた。
「今の…こないだの女子。」
「何だ、ストーカーにあっているのか?」
「違うよ。そんなんじゃない。」
ほんの冗談のつもりだったのが、三谷が妙に真剣な声で応えたから俺はちょっと鼻白む。
「じゃあ何だよ。」
「…友達でもいいからって言われて…」
要約すると、もともとクラスの行事だかなんかの事務連絡の関係でお互いの携帯電話番号を交換して知っていた。その後、すこし経ってから好きだと言われた(つまりこの間だ)。三谷は振ったのだが、その後も時折こうして電話がかかってくるのだという。
「かけてくるなって言えばいいじゃないか。」
「でも、こうして時々、本当に何気ない世間話みたいなのをするためにかけてくるだけなんだよね…。それを拒絶するっていうのも難しいよ。」
「で、つきまとわれてる訳か。バカだなあ。」
俺はため息をついた。三谷らしいとも思った。褒められたことかは知らないが、俺はこういう場合、割と血も涙もなく相手を拒絶出来るタイプだと思う。というかそもそも、大抵はそんな事後のアプローチが不可能になるくらいきっぱりと振ってしまうのだが。
「いや、つきまとわれているっていうほどじゃないし…友達になりたいっていうのは嘘じゃないと思うんだ。ただ僕が時々ちょっと戸惑うだけでさ。」
「お前の方はどうなんだ。そいつと本当に友達になりたいのか?」
三谷のあまりの歯切れの悪さに、他人のこういう話に深入りするのは野暮だとわかっていながらも、ついつっこんでしまった。
「…いや、うーん…わかんない。」
そして、実はこないだ二人で一緒に映画見に行こうと誘われて断った、と墓穴を掘るような余分な情報を付け加えた。俺はため息が出た。
「なんだ、結局どっちも割り切って友達ゴッコ出来てないんじゃないか。ならばちゃんと拒絶するか、または試しにでも付き合ってやるかどっちかにしろよ。丁度あと一、二ヶ月もすれば夏休みだし、ひと夏の思い出が出来るぜ。」
思った以上に辛辣な調子の言い方になり、三谷がムッとした声をあげる。
「…まるで、わかってるみたいな言い方だね。確かに正論ではあるけど。」
ロクな経験無いくせにえらそうに、と言いたげだった。
「僕は試しに付き合う、なんて考え方出来ないよ。したくもないし。芦川とは違うんだ。」
「悪かったな。俺はただ、折角かわいい子と知り合う機会があったんだから、半端なことするくらいなら出会いを生かせ、と言っただけだ。」
実をいうと未だに相手の女の顔をはっきり認識してはいなかった。だが、俺のクラスの男子の一人がうらやましがっていたので、おそらくそこそこの容姿なのだろうと判断しただけだ。
相変わらずこういうのにかけては口先だけの俺だが、それでも痛いところを突いたのだろう。三谷は口をへの字型にゆがめてそっぽを向いた。
「…かわいいんだろうけど…別にあんまり好みじゃない。相手には悪いけど。」
「はぁ。お前の好みってどんなだ。そんなに理想高いのか。」
俺は何だかイライラしてきて、売り言葉に買い言葉で、思い切りやる気のない質問をぶつけただけのつもりだった。だが、すると三谷が急に押し黙り俺を見る。
まっすぐに視線を合わせてきて、思わず俺は、こいつ黒目の部分が大きいよなとどうでもいいことを思う。
次の瞬間、まるで想定外の台詞が耳に飛び込んできた。
「僕の昔好きだった子は多分…芦川に似てたよ。」
唐突さに話のつながりを一瞬見失う。
気づくと問い返していた。
「それ……男?女?」
どうしてこういう質問思いついたんだろう。ガキの頃の俺に似ている女なんていくらでもいるだろうに。慌てて打ち消そうとした。
「いや、まあ、冗談——」
「男だよ。」
やけにきっぱりと響いた。俺は思わず窓の方に視線を向ける。まだ雨は降り止まない。
イノセント(6)に続く
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