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早春

君もきっと僕の事を忘れるよ、とカヲルが言った。
芝生、公園、池の側のベンチ、もう春が近い。
明日遠い国へ旅立つ少年と、いつもの春休みを迎える少女。

アスカは黙っている。水面を見つめている。
午後の陽光が反射して儚いまばゆさ。


いいえ、忘れないと思うわ。



確かにね、あたしはあんたと違うから、大人になってもずっとここにいる。
仕事をして、誰かと出会って恋をして、子供が出来たりもするんだと思う。普通にごくごく平凡に。

(でも、平凡って何なのかしら。私は未だにそれがわからないし、これからもわかりそうにない。)


でもきっと、思い出すわ。
どんなふうになっていても、そのとき誰と一緒でも、必ず、あなたのことを。


(若かった、バカ騒ぎをした永遠の一瞬)
(肩を抱いて笑い合った、その季節が終わる)

(彼は出会った頃より、背が伸びた)
(私は、髪を結ばなくなった)


あなただって、変わっていくわ。
でもそれは悪い事じゃない。大人になるのよ。
どこでどういう風にかは——知らないけど。
きっと、今よりタフで、賢い、大人の男になるわ。


…何よ、変な目で見ないでよ。あたしがいうとそんなに変?
まあいいわ。そんできっとある日、世界の片隅で後悔するわけ。あたしみたいなイイ女を逃した事を。

ははは。

…こういって欲しかったんでしょ?

うん。

あんたマゾよね。

かもしれない。


歌うような口ぶりでおどけながらも、カヲルは顔を至近距離まで近づけてきた。まるで自然な事のようにアスカは目を閉じる。
前にキスしたのはいつだったか、思い出せない。

一瞬の体温。


Es ist gut, nicht ?(気持ちイイよね。)

…あんた、バカ。


クスクス笑って、カヲルの胸を押しのけて、アスカ。

日本語だと、難しいよ。ニュアンスが。こういうとき何て言うんだろうね。

え、そうねぇ…って、バカ、あたしに言わせないでよ!


(本当は、少し嘘。もう最近は、日本語ばかりすぐ出てくる。)
(こうして笑っているときも、夜一人で見る夢の中でも。)
(漢字と格闘していた最初の頃が嘘みたい。)

(こんなにもこの地になじんだ。だけどもう時間切れ。)


水面のきらめきをじっと見つめているのは、こんどはカヲルの方。
別離の感傷、まだ見ぬ明日を思いながら。
数年ぶりに戻る場所への懐かしさ。
でも彼はまだ、そのわずかな空白の年月が大きな意味を持つような若さの中にいる。
だからこその不安、そして希望。


…君も、遊びにおいでよ。いつでも歓迎するよ。ドイツにも、たまには来るんだろう?

ええ…ハンブルクだけどね。母方の祖父の実家があるの。あと、ベルリンには再婚した父もいるわ。あ、そうだ、チャットは?使う?

ときどき。

じゃあ、きっとまずはネットで会えるわね。


うん、とカヲルが微笑んだ。いつものように、でも既にどこか懐かしいものを想うような、そんな目をして。


春一番、冷たい指をアスカはそっと握りしめた。






ほんとは、夏の終わりにしたかったですが(ドイツでの生活がメインの人なら、秋の新学期に合わせて帰るはずだから)、ケツメイシの「さくら」を聞いてたらつい…。
ちなみに、ドイツ語の台詞はやや自信がありません。昔ちょっとかじりましたが、ろくに出来ません。文法はあってるはずだけど、でも、このニュアンスで使うのかなとか…。
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