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ひとりめしと夜の中華料理店

仕事をしてて夕食が遅くなったので、地元の中華料理店に入った。9時を過ぎていたと思う。
店の中は閑散としてて、普段着の若いカップルと中年男女がいた。客も店員も日本語以外の言語を話している。
二十年くらいはたっていそうなすすけた風合いの壁。ラミネート加工されたメニューは赤地に素朴なゴシック体で印刷されている。デザートのゼリーが「ゼーリ」となっているのはご愛敬。
このくらいの時間にくたびれた気持で入り込むにはいい店だった。

豚の角煮にほうれん草、白米を盛った皿を頼んだ。七〇〇円ほどのメニューだ。ポット入りの中国茶もつけて一〇〇〇円。
その日は、和食よりは濃い味のおかずと、白米とが食べたかったからありがたかった。この店で正解だな、と思った。
中華料理というと大人数でたくさんの皿をまわすイメージがあるが、こういう店ならちゃんと一人飯用のメニューも用意している。そして意外と美味しいのだ。経験から何となく知っていた。


夜の中華料理店は好きだ。それも、遅い時間に一人で入るのがいい。独特の雰囲気がある。普段は慌ただしい料理店で、あらゆることがピークを過ぎて弛緩している。まるで外界と別の時間にいるみたいに。店員は隙あらば厨房を向いて、気ままに中国語のお喋りをしているし、客には妙な生活感がある。
そんな中、必要最低限だけ相手にされて、思う存分放っておかれる。
その感じが、何だかよいのだ。



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中年の壁と二次創作

とんでもなく久しぶりにブログ更新です。二年も放置していた。なんということだ。

12月30日にコミケ(C91)に行きました。コミケ自体一年半ぶりでした。それで某ジャンルのとあるサークルさんのご本を買ったのですが、ふと作家さんをみたら、明らかに私より年上のマダムでいらっしゃった。輝いて見えました。ちなみにその方は超絶技巧かつ物語も作り込んだ漫画を描かれる方で、納得、という感じでもあった。
なお、プロの活動をしているのかどうかなど、そのあたりはよくわかりません。

むかし、萩尾望都氏のインタビューを読んでいたら、「20代の時はとにかく描きたいものを描くということで走ってきたけど、30代になったある日、書きためたネタ帳を見たら急に色あせて見えた。古くなっていた」という話が出ていて、戦慄したことがあります。丁度その頃、「出力がにぶってきたな」という感覚につきまとわれていたから。
大漫画家の一次創作と自分の二次創作を関係づけて考えるあたりからしておかしいし、私はそもそも30代近くなってから二次創作を始めたので、年齢的にはズレてるんですが、その頃から「創作の力に限界はあるのか」というテーマはどうしても気にかかっていました。

萩尾先生はご存じの通り、その時期を乗り切り、むしろ作家としては更なる成熟を遂げたわけです。そのためには20代の時、勢いのままに作っていたものを惜しげもなく棄てて、冷静に作家として描きたいものを見つめ直すような作業を行ったそうです(実は現在そのインタビューが手元にないんですが、確かそういう内容だったかと)。
逆に言えば、この作業が出来る人だけが作家として生き残っていくということなんでしょう。

もちろん、さっきも言ったように、二次創作と一次創作では、用意する内容の質も量も相当に違うので全くそのまま当てはめることはできないません。でも、30代から40代にかけて、二次創作をする人の数もがくっと減るという現実がある。

その主な理由は、仕事や家庭、もしくは両方でとても創作どころではなくなる人が多いということなのだろうし、自分も最近描(書)けてない理由の6割はそれだろうと思ってる。
ただ、時間があったとしても、スタイルを変えないことには満足のいくものが作れなくなってくる、そういう側面があるんじゃないかなという気がしています。なんか、感情の動きか、頭の働きか、何かが少しずつ変化している。それは悪く言えば老化、よく言えば成熟とでも言うべき何か。

自分の場合でいえば、間違いなく、感情は少し老いた、もしくは大人になってしまった。
色々なことがあって、よくも悪くも精神が安定してしまっている。これは、たとえば実務的なトラブルや人間関係への対応をするには大変プラスなんですが、好きにせよ嫌いにせよ「うわあああああああたまらないいいいいい」というような感情の爆発や、その発露としての創作、みたいな回路はやっぱ詰まったように思う。その辺、勢いが弱まってます。

もう一つは、いい意味では視野が広がり、悪い意味では視点が遠くなった。対象を見るカメラが引いてしまっているんです。通常営業だと、事物をロングで写してる。意識してようやく間近に寄る感じ。10年くらい前は、デフォルトで至近距離から詳細に、舐め尽くすように対象を見るような観察眼があった気がする。その代わり、遠景描写は無理でした。

この話題、古今東西あらゆる人が語ってきたことだろうから、長く書こうと思えば多分永遠に続けられるんですが、この辺で無理矢理まとめると、中年以降の創作は、理性と技術をうまく感情と組み合わすことが出来る人が強いのかなと思います。総合力といいますかね。
もちろん、そのためには若いうちに技術や経験を付けておく必要もあるんですけど。この日記の最初にふれた、マダムな作家さんはまさにそういう感じのする方でした。

そうでなければ、理性や技術の代わりになる他の動機を持っている人。たとえば仲間だとか、家族の誰かが二次創作を楽しみに待っていてくれるとか。人を喜ばせるために趣味で描く、という外発的な動機の方も、実はかなり残ってるなという印象があるのです。

もちろん、このどちらとも時間がなければどうにもならないわけですが。







聖=性なる傷

性愛と人生の関係について考えるにあたり、12−15歳はとりわけ魔の年齢だと思う。
それより前に起こる性体験はほぼ間違いなく、たとえ本人がその時は明確に拒絶を表明していなくても、基本的にはいわゆる暴力の物語、つまり性的虐待の物語となってしまうし、本人の人生に破壊的な作用をもたらす可能性が非常に高い。
逆に16−17歳を超えるあたりから、つまり高校生になると、よほど不幸で無理強いされるような体験でない限り、それは基本的には愛や快楽の物語となる。
そして18歳以上ならば、あとはもう、普通の大人の恋愛と同じだ。

だが、12−15歳の子供の場合、それは愛・快楽と暴力・トラウマの境目を曖昧に行き来する体験となることが多いように感じる。
彼らは何があっても、一見「持ちこたえる」ようにみえる。
だが、普通の大人が受けるのとは比較にならないような大きな影響を彼女・彼はその体験から受ける。

榎本ナリコは以前、「反コギト」という作品で中学生と中年作家の物語を描いた。これはほぼ実話であるという。あるインタビューで彼女は、若い頃、ものすごく年の離れた人を好きだったと述べた。中学生の時に出会い、その後も継続して、恐らくは性的な関係込みで関わり続けた。その結果、「男と女ではなく、対等な人間であったように感じて」いたのだという(『大人は分かってくれない』より)。

この文章を読んだとき、「わたしは19歳で年老いた」といったフランスの作家、M.デュラスを思い出した。デュラスはやはり15歳の時、30歳くらいの富裕な中国人男性の愛人であった。その体験は非常に早く彼女を大人にした。
榎本もデュラスも、長じてから肯定的にその体験を捉えており、特別な体験だと語っていた。だが、恐らく特別すぎたのだろう。それはほとんど、ある種の傷痕のように、彼女たちの精神世界に消えない痕跡を残しているように見える。ごく普通の「過去の恋愛」が残す甘さや苦さとはどこか異質で、決定的な一撃を。

第三者の立場からそう感じてしまうのは、彼女たちが共に何度も何度も、殆ど執拗といえるまでに、その体験を創作という形に昇華し、反復し続けていたようにみえるからだ。

たとえば榎本の「反コギト」は明確な自叙伝であるし、その他にも中年男性と少女の組み合わせを描く話が彼女には少なくない。更に極端な見方をすれば、少年少女の性愛を多く描いた『センチメントの季節』全体がうっすらとその過去の体験を通底音としているようにみえなくもない。
デュラスに至っては、生涯のうちに三度もその中国人との話を小説化している。少しずつ、少女と男の設定をずらしながら。中年期の作品は「愛人 ラマン」として映画化され、最後の作品は最晩年に書かれた。
(なお、デュラスの場合は、母親が暴力を振るう人であり、中国男との関係を黙認して金を巻き上げるようなところがあったし、兄は明らかに暴力的で性的ないやがらせをする人物だったようだ。デュラスの故郷のフランスに戻ってからの売春まがいの行動や、実弟との近親相姦的関係など破天荒な行動は、その後も続いた強いストレスの存在を示唆している。)

この10代のうちに性的な体験により受けた傷、そういうものが現れた作品に私は強く反応してしまう。

中学生にあたるこの時代、自分と世界は渾然一体となっているようなところがある。自我は目覚めているが、「他人は他人」という形で受け過ごせない。
その時代に体験した性というものは、おそらく世界の見え方そのものに影響するような体験である。

それは破壊的な作用をその人の人生全体に及ぼすことがある。だけど本人の意図とその後の環境によっては聖なる傷といえる何かになることもあり、それを成し遂げた人の作品に私は惹かれるのだ。

また、それはまるで傷の付いたレコードが同じ場所を繰り返すように、奇妙に反復する主題としてその後の人生に訪れる。
この現象にも私は惹き付けられて止まない。



(なんか語ってしまいました。実は、ちょっと前に書いた文章なんですけど。)

えんびたんの背中がずっと昔から好きだった

支部にあげた絵ですが、こちらにもうpっておきます。情報を集約するのがすきなので。そしてせっかくなので少し語ります。

エンビたんにメロメロになってしまったそのときから、その背中の赤い模様がだいすきでした。
あれはいったいなんなんだろうとか、何かのしるしみたいだな、いつか謎はわかるのかなとか考えながら、背中が見えるたびに凝視していました。結局わからないままだったけど。

エンビたんの場合、服(だよね?)にもあのマークが浮いているので、肌にあれがあるのか、それとも装飾品なのか何だかよくわからなくなるんですが、真エンビになったときも額に模様があったから(背中のは消えてたけど)、きっと脱いでも模様が残るんだよね?って信じてる。

話戻りますけど、身体にくっきりしるしがあるって個人的に萌えなんです。ウロボロス刺青も最高だけど、背中のアレは何かの設計図みたいで、エンビたんが何らかの運命に縛り付けられているあかしなんじゃないかとか妄想が膨らみます。あと、背中だけでなくて額にしるしがあるのも個人的にポイント高いのです。

というのも、昔読んだ文学名作にヘッセの『デミアン』て本があり(確かBL好きな文学女子に愛されてる話です)、そのなかに「額にしるしのある罪人」っていう話が出てくるんです。その元ネタ自体は聖書のカインとアベルの話で、弟のアベルを殺した罪人、カインの額に神様がしるしを付け、そのしるしを見て人々は気味悪がったという話です。ただし、物語の中ではデミアンという不思議なところのある少年が、しるしの意味を読み替えてしまいます。デミアンは、カインは他の人が持っていない勇気と異能の人だったのではないか、だから周囲に恐れられて、「しるしを持つ人」として語り継がれるに至ったのではないか、というのです。エンビたんは間違いなく他とちょっと違う人で、七つの大罪の一つですから、なんだかちょっとだけ重なるようでうれしくなる話です。

長くなってきたのでこの辺でやめますが、あの模様を見ると、しるしのある異能の人、運命づけられた身体、というあたりの妄想がむくむく膨らんでくるという話をしたかったのです。
もちろん、刺青のあるぴちぴちしたふとももを持っているということの素晴らしさはいうまでもなく、それについて書くともっと長くなるから本当にこの辺でやめることにします。

拍手お礼(2015年3月14日〜21日)

拍手やメッセージどうもありがとうございます!
お返事、お礼が遅くなって済みませんm(_)m
(お手数ですが、反転して下さい)

3月14日にいただいたメッセージの送り主様へ:

>エンヴィーちゃんかっこいいですね(*^^*)

ありがとうございます!!
更新おそすぎて恐縮です…。最近、鋼一挙放送でもりあがってきてるので、すこしずつでも頑張ります…!
またお時間のあるときにいらしてください♪

3月20日にいただいたメッセージの送り主様へ:

>更新待ってました!いつもエロかわいい…

更新気づいて下さってありがとうございます(´∀`*)
リアクション頂けるとほんとうにすごくすごく嬉しいです…!!
細々とながら続けていきますので、また思い出したときにでものぞきに来てくださいませ♡

3月21日にいただいたメッセージの送り主様へ:

>管理人様のグリリン×エンヴィーの…

お読み下さりどうもありがとうございます…!久しぶりのグリエンで、何だか微妙な感じになってしまいましたが、そう言っていただけるとものすごく励みになります///
ゆっくりペースですが、機会があればまたいつでもお越し下さいませ♪



毛穴からしみこんでしまいたかった

昔に書いた雑文です。いろいろダメな感じですが、個人的にすきなのでうpっておきます。



1.
うしろからえんびたんをぎゅーとだきしめると、もぞもぞしながら、うふふとわらってくれました
黒いかみのけがふわっといいにおいがして、そのまま鼻を埋めてくんかくんかしました
えんびたんの頭皮のにおいがだいすきだと思いました
このままからだが溶けて、えんびたんの毛穴からしみこんでしまえればいいのに

するとカワイイ声がいいました
かくしたってだめだよ、知ってるんだから
あんたがどうしようもないヘンタイだってこと

ぼくはしあわせでした


2.
それからしばらくして、ぼくはころされてしまいました
えんびたんがヘンタイにあきたからです
ぼくの死体はキメラのえさになり、食べ残しの骨は、きたないなあ、と文句をいいながら、えんびたんが野山にすてました

こうして、キメラのおなかのなかと、温かい土の中で、ぼくはゆっくりと分解されていったのです


3.
さらに時間がたって、ぼくのからだだったモノすべて、ばらばらになって、水や空気にまぎれていったときのことです
ぼくはもういなくなっていたので、しらないのですが、えんびたんのいた場所で、大きな爆発がたくさんあったそうです
たくさんの人が戦って、死んで、建物がたくさん壊れたのだそうです
爆発の熱い空気はたくさんのチリを高い空にまきあげて、そのあと雨がふりました

ぼくはほんとうに、ぜんぜんしらないことなのですが、実はそのとき、えんびたんも死んでいました
高等な生物であるホムンクルスはきたない死体なんて残しません
命つきるとすぐに、きめの細かいチリに分解して、空気に溶けてしまいます

こうして、えんびたんだったチリと、ぼくだった水は空気の中で出会うことができました
えんびたんの毛穴はもう存在しませんでしたが、チリと水とでひとつになって、雨となり、大地へと降りそそいだのでした



おしまい

黒服もしくは喪服

【以下、妄想注意】
この絵はマフィアのような顔になってしまいましたが、エンビたんは、現パロだとけっこう老人介護とかしてそうな気がします。
身体に管がついて動けなくなってしまったお父様に食事を運んだり、話し相手をしてあげたりします。陽の当たらない部屋で、壮大な「約束の日」とやらの妄想構想を語り続けるお父様に「それ昨日も話してたよね…」って思いながら、うんうん、ってうなずいてあげるのです。
部屋を出ると、トカゲとチワワがかけあわさったキメラのようなブサ犬が駆け寄ってきて、じゃれつきます。「もー、食事ならさっきあげたじゃん」
ハァハァする犬を追い払って、沈む夕陽を見ながら、はあ、と一人、深い溜息をつくのです。


【閲覧注意】鋼一期DVD Box発売でエンビたんの10年後が四コマに出たってほんとですか?

鋼一期DVD Box買うかまよってるうちに、エンビたんの10年後を語る四コマネタがあったってTwitter経由で知ってもりあがってしまい、実物を見てもいないのに勝手に妄想してしまいました。

伝え聞いている要素:

・ジャージ着てる
・10年たって「あの人は今」状態でまさかお呼びがかかるとは思わなかったので、髪の毛は切ってしまっている

一期エンビたんはかっこいいホムンクルスでした。詰めの甘い二期とは違う魅力に溢れていた。
それで絵描きました。たぶんかなりずれてるから、心の広い方だけどうぞ↓


拍手お礼

サイトへのご訪問、拍手、いつも本当にどうもありがとうございます!
そして反応が鈍くて誠に申し訳ありません…!

9月9日に頂いた拍手メッセージの送り主様
(反転して下さい)
> sakioさんのエンビエロかわ過ぎる(▽〃)

ありがとうございます!!
エロかわいさが具現化したのがエンビたんだと思っているので、その爪の垢でも飲ませてもらったような気持で描いていました。お言葉を励みに、これからもまったり描いていきたいです^^