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雑念手帳

サイトの日記ですが、同人サイト訪問者様用に公開されたJUNK妄想雑文メモ置き場兼ねてます。「何となくこのキャラのイメージで出てきた妄想だけど限定はしない」系の小説未満な小話がごっちゃりです。

  • 10年後エンヴィー妄想
    前の記事で扱ったネタの続きです。
    鋼一期ブルーレイの付録マンガで十年の後のエンビたんが出てきて、髪切っててジャージ着ていたという情報から自由に妄想その2
    苦手な方もおられるかもなのでワンクッションおきます。



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  • 聖=性なる傷
    性愛と人生の関係について考えるにあたり、12−15歳はとりわけ魔の年齢だと思う。
    それより前に起こる性体験はほぼ間違いなく、たとえ本人がその時は明確に拒絶を表明していなくても、基本的にはいわゆる暴力の物語、つまり性的虐待の物語となってしまうし、本人の人生に破壊的な作用をもたらす可能性が非常に高い。
    逆に16−17歳を超えるあたりから、つまり高校生になると、よほど不幸で無理強いされるような体験でない限り、それは基本的には愛や快楽の物語となる。
    そして18歳以上ならば、あとはもう、普通の大人の恋愛と同じだ。

    だが、12−15歳の子供の場合、それは愛・快楽と暴力・トラウマの境目を曖昧に行き来する体験となることが多いように感じる。
    彼らは何があっても、一見「持ちこたえる」ようにみえる。
    だが、普通の大人が受けるのとは比較にならないような大きな影響を彼女・彼はその体験から受ける。

    榎本ナリコは以前、「反コギト」という作品で中学生と中年作家の物語を描いた。これはほぼ実話であるという。あるインタビューで彼女は、若い頃、ものすごく年の離れた人を好きだったと述べた。中学生の時に出会い、その後も継続して、恐らくは性的な関係込みで関わり続けた。その結果、「男と女ではなく、対等な人間であったように感じて」いたのだという(『大人は分かってくれない』より)。

    この文章を読んだとき、「わたしは19歳で年老いた」といったフランスの作家、M.デュラスを思い出した。デュラスはやはり15歳の時、30歳くらいの富裕な中国人男性の愛人であった。その体験は非常に早く彼女を大人にした。
    榎本もデュラスも、長じてから肯定的にその体験を捉えており、特別な体験だと語っていた。だが、恐らく特別すぎたのだろう。それはほとんど、ある種の傷痕のように、彼女たちの精神世界に消えない痕跡を残しているように見える。ごく普通の「過去の恋愛」が残す甘さや苦さとはどこか異質で、決定的な一撃を。

    第三者の立場からそう感じてしまうのは、彼女たちが共に何度も何度も、殆ど執拗といえるまでに、その体験を創作という形に昇華し、反復し続けていたようにみえるからだ。

    たとえば榎本の「反コギト」は明確な自叙伝であるし、その他にも中年男性と少女の組み合わせを描く話が彼女には少なくない。更に極端な見方をすれば、少年少女の性愛を多く描いた『センチメントの季節』全体がうっすらとその過去の体験を通底音としているようにみえなくもない。
    デュラスに至っては、生涯のうちに三度もその中国人との話を小説化している。少しずつ、少女と男の設定をずらしながら。中年期の作品は「愛人 ラマン」として映画化され、最後の作品は最晩年に書かれた。
    (なお、デュラスの場合は、母親が暴力を振るう人であり、中国男との関係を黙認して金を巻き上げるようなところがあったし、兄は明らかに暴力的で性的ないやがらせをする人物だったようだ。デュラスの故郷のフランスに戻ってからの売春まがいの行動や、実弟との近親相姦的関係など破天荒な行動は、その後も続いた強いストレスの存在を示唆している。)

    この10代のうちに性的な体験により受けた傷、そういうものが現れた作品に私は強く反応してしまう。

    中学生にあたるこの時代、自分と世界は渾然一体となっているようなところがある。自我は目覚めているが、「他人は他人」という形で受け過ごせない。
    その時代に体験した性というものは、おそらく世界の見え方そのものに影響するような体験である。

    それは破壊的な作用をその人の人生全体に及ぼすことがある。だけど本人の意図とその後の環境によっては聖なる傷といえる何かになることもあり、それを成し遂げた人の作品に私は惹かれるのだ。

    また、それはまるで傷の付いたレコードが同じ場所を繰り返すように、奇妙に反復する主題としてその後の人生に訪れる。
    この現象にも私は惹き付けられて止まない。



    (なんか語ってしまいました。実は、ちょっと前に書いた文章なんですけど。)
  • えんびたんの背中がずっと昔から好きだった
    支部にあげた絵ですが、こちらにもうpっておきます。情報を集約するのがすきなので。そしてせっかくなので少し語ります。

    エンビたんにメロメロになってしまったそのときから、その背中の赤い模様がだいすきでした。
    あれはいったいなんなんだろうとか、何かのしるしみたいだな、いつか謎はわかるのかなとか考えながら、背中が見えるたびに凝視していました。結局わからないままだったけど。

    エンビたんの場合、服(だよね?)にもあのマークが浮いているので、肌にあれがあるのか、それとも装飾品なのか何だかよくわからなくなるんですが、真エンビになったときも額に模様があったから(背中のは消えてたけど)、きっと脱いでも模様が残るんだよね?って信じてる。

    話戻りますけど、身体にくっきりしるしがあるって個人的に萌えなんです。ウロボロス刺青も最高だけど、背中のアレは何かの設計図みたいで、エンビたんが何らかの運命に縛り付けられているあかしなんじゃないかとか妄想が膨らみます。あと、背中だけでなくて額にしるしがあるのも個人的にポイント高いのです。

    というのも、昔読んだ文学名作にヘッセの『デミアン』て本があり(確かBL好きな文学女子に愛されてる話です)、そのなかに「額にしるしのある罪人」っていう話が出てくるんです。その元ネタ自体は聖書のカインとアベルの話で、弟のアベルを殺した罪人、カインの額に神様がしるしを付け、そのしるしを見て人々は気味悪がったという話です。ただし、物語の中ではデミアンという不思議なところのある少年が、しるしの意味を読み替えてしまいます。デミアンは、カインは他の人が持っていない勇気と異能の人だったのではないか、だから周囲に恐れられて、「しるしを持つ人」として語り継がれるに至ったのではないか、というのです。エンビたんは間違いなく他とちょっと違う人で、七つの大罪の一つですから、なんだかちょっとだけ重なるようでうれしくなる話です。

    長くなってきたのでこの辺でやめますが、あの模様を見ると、しるしのある異能の人、運命づけられた身体、というあたりの妄想がむくむく膨らんでくるという話をしたかったのです。
    もちろん、刺青のあるぴちぴちしたふとももを持っているということの素晴らしさはいうまでもなく、それについて書くともっと長くなるから本当にこの辺でやめることにします。

  • 拍手お礼(2015年3月14日〜21日)
    拍手やメッセージどうもありがとうございます!
    お返事、お礼が遅くなって済みませんm(_)m
    (お手数ですが、反転して下さい)

    3月14日にいただいたメッセージの送り主様へ:

    >エンヴィーちゃんかっこいいですね(*^^*)

    ありがとうございます!!
    更新おそすぎて恐縮です…。最近、鋼一挙放送でもりあがってきてるので、すこしずつでも頑張ります…!
    またお時間のあるときにいらしてください♪

    3月20日にいただいたメッセージの送り主様へ:

    >更新待ってました!いつもエロかわいい…

    更新気づいて下さってありがとうございます(´∀`*)
    リアクション頂けるとほんとうにすごくすごく嬉しいです…!!
    細々とながら続けていきますので、また思い出したときにでものぞきに来てくださいませ♡

    3月21日にいただいたメッセージの送り主様へ:

    >管理人様のグリリン×エンヴィーの…

    お読み下さりどうもありがとうございます…!久しぶりのグリエンで、何だか微妙な感じになってしまいましたが、そう言っていただけるとものすごく励みになります///
    ゆっくりペースですが、機会があればまたいつでもお越し下さいませ♪



  • 毛穴からしみこんでしまいたかった
    昔に書いた雑文です。いろいろダメな感じですが、個人的にすきなのでうpっておきます。



    1.
    うしろからえんびたんをぎゅーとだきしめると、もぞもぞしながら、うふふとわらってくれました
    黒いかみのけがふわっといいにおいがして、そのまま鼻を埋めてくんかくんかしました
    えんびたんの頭皮のにおいがだいすきだと思いました
    このままからだが溶けて、えんびたんの毛穴からしみこんでしまえればいいのに

    するとカワイイ声がいいました
    かくしたってだめだよ、知ってるんだから
    あんたがどうしようもないヘンタイだってこと

    ぼくはしあわせでした


    2.
    それからしばらくして、ぼくはころされてしまいました
    えんびたんがヘンタイにあきたからです
    ぼくの死体はキメラのえさになり、食べ残しの骨は、きたないなあ、と文句をいいながら、えんびたんが野山にすてました

    こうして、キメラのおなかのなかと、温かい土の中で、ぼくはゆっくりと分解されていったのです


    3.
    さらに時間がたって、ぼくのからだだったモノすべて、ばらばらになって、水や空気にまぎれていったときのことです
    ぼくはもういなくなっていたので、しらないのですが、えんびたんのいた場所で、大きな爆発がたくさんあったそうです
    たくさんの人が戦って、死んで、建物がたくさん壊れたのだそうです
    爆発の熱い空気はたくさんのチリを高い空にまきあげて、そのあと雨がふりました

    ぼくはほんとうに、ぜんぜんしらないことなのですが、実はそのとき、えんびたんも死んでいました
    高等な生物であるホムンクルスはきたない死体なんて残しません
    命つきるとすぐに、きめの細かいチリに分解して、空気に溶けてしまいます

    こうして、えんびたんだったチリと、ぼくだった水は空気の中で出会うことができました
    えんびたんの毛穴はもう存在しませんでしたが、チリと水とでひとつになって、雨となり、大地へと降りそそいだのでした



    おしまい

  • 黒服もしくは喪服
    【以下、妄想注意】
    この絵はマフィアのような顔になってしまいましたが、エンビたんは、現パロだとけっこう老人介護とかしてそうな気がします。
    身体に管がついて動けなくなってしまったお父様に食事を運んだり、話し相手をしてあげたりします。陽の当たらない部屋で、壮大な「約束の日」とやらの妄想構想を語り続けるお父様に「それ昨日も話してたよね…」って思いながら、うんうん、ってうなずいてあげるのです。
    部屋を出ると、トカゲとチワワがかけあわさったキメラのようなブサ犬が駆け寄ってきて、じゃれつきます。「もー、食事ならさっきあげたじゃん」
    ハァハァする犬を追い払って、沈む夕陽を見ながら、はあ、と一人、深い溜息をつくのです。


  • 【閲覧注意】鋼一期DVD Box発売でエンビたんの10年後が四コマに出たってほんとですか?
    鋼一期DVD Box買うかまよってるうちに、エンビたんの10年後を語る四コマネタがあったってTwitter経由で知ってもりあがってしまい、実物を見てもいないのに勝手に妄想してしまいました。

    伝え聞いている要素:

    ・ジャージ着てる
    ・10年たって「あの人は今」状態でまさかお呼びがかかるとは思わなかったので、髪の毛は切ってしまっている

    一期エンビたんはかっこいいホムンクルスでした。詰めの甘い二期とは違う魅力に溢れていた。
    それで絵描きました。たぶんかなりずれてるから、心の広い方だけどうぞ↓


  • 拍手お礼
    サイトへのご訪問、拍手、いつも本当にどうもありがとうございます!
    そして反応が鈍くて誠に申し訳ありません…!

    9月9日に頂いた拍手メッセージの送り主様
    (反転して下さい)
    > sakioさんのエンビエロかわ過ぎる(▽〃)

    ありがとうございます!!
    エロかわいさが具現化したのがエンビたんだと思っているので、その爪の垢でも飲ませてもらったような気持で描いていました。お言葉を励みに、これからもまったり描いていきたいです^^
  • 7月27日の拍手メッセージお礼
    遅くなって済みません!

    7月27日に頂いたメッセージの送り主様へ:
    (お手数ですが、反転して下さい)
    「エリクシール」の続きを待っていると仰って下さって本当に嬉しかったです。
    ありがとうございます…!
    とても励みになりました。なんとか続きを出せるように頑張りたいです。まずは心より御礼まで。
  • エンヴィーとリン
    先日、エンヴィーとリンについて短い話をうpったので記念に絵も描きました。リン・ヤオは人気キャラで、正直なところ私は彼のことをあまり理解出来ている自信がありません。その魅力に気づいたのも大分あとになってからです。
    たとえばエンヴィーがリンを「お前」呼わばりし、リンがエンヴィーを「あんた」と呼ぶなど、微妙な力関係が二人の間にはあるようなのですが、そのことに気づいたのも大分最近でした(しかも気をつけていたつもりなのに、小説ではあやふやになるなど…)

    そして今でもリン自体に凄く萌えているのかと訊かれると、どうだろう、と答えてしまうでしょう(まあ、誰も質問してくれたりはしないんですが)。
    その一方で、他の作家さんが書かれたリン・ヤオの物語を読むのは大好きです。リンの目線から見えた世界を語っているような作品は特に好きですね。

    私はどうも、リンを「一番信頼に足る語り手」のような存在として捉えているようです。いつまでたっても、その目が曇らない人、という気がする。かわいそうなのだけど、少年の時から、不幸にもオトナになりすぎていて、だからブレない。変わらない、というふうにみえるのです。
    多分、エドとの比較でそう捉えてしまっているのだと思う。

    原作の最終巻近くになってわかったのは、エドが「変わっていく存在」だということでした。家を燃やしてまでやろうとしたこと(賢者の石で身体を取り戻す、など)が実は不必要だったとわかったり、必死になって会得した錬金術を惜しげも無く投げ捨ててしまったり。
    強がって背伸びしていた少年から、穏やかな眼差しの青年へ、そして父に。人間が環境にあわせて、成長と共に変わっていく(変わっていってしまう)ことを、エドというキャラは鮮やかすぎるくらいにみせてくれました。
    でもだからこそ私は、エドの視点で小説を作るようなとき、どうしても「この人は、十年後にはこの気持を覚えていないかも知れないなあ」というような気持で彼を描写してしまいます。
    別に記憶喪失になるという意味ではないですよ。ただ、エドは過去をあっさりと過去に出来る人というか、「あんなこともあったなあ」と微笑みながら何でもセピア色にしてしまうような人という気がします。良くも悪くも、生活する人の健やかなたくましさみたいなものを持ってる人だと感じるのです。

    一方、リンという人は作中でどこまで変化したのか。もちろん、旅で何かを得たことは間違いないでしょうけれど、でも根本的なところで、彼は運命のようなものから逸脱することができない、変わらない人であるようにみえます。
    彼の人格は通常の人より早く完成されてしまっていて、だからこそゆるがないけれど、同時に、どこかに研ぎ澄まされた少年のような精神を残したまま、生きていかねばならないのではないか。完全に安心して世界と和解しきることはできない。ただ知性と経験により賢くなり、大人になっていく。皇帝になる。ただの想像ですが、とりあえず私は、勝手にそのように解釈しています。
    でもそういう人の方が、醒めた目であらゆることを記憶してくれていそうに感じるのです。


    …まあ、リンについては読みが甘いのかもなとは思いますけど。そういう妄想をしてるってことで。