忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

Homophobia ? + Women's behavior always under surveillance

男性顧客と「見られる若い女性」を組み合わせた商業的な施設に対して、ニヤニヤしながら「しょうがねえなあ」と通り過ぎていくだけの人はこの社会には多い。例えばメイドカフェを幾千万の人びとが生暖かい視線で見守っていることか。(私もその一人である。)
だけどその一方で、女性を主な顧客対象にしていて「見られる若い男性」を連想させる空間、それも同性愛テイストを期待する雰囲気など一ミリでも漂っていたら我慢がならないという人はこれがまた、驚くほど多いのだ。
そのことを改めて実感させられる小さなトラブルの事例を最近通っていたサイトで目の当たりにした。

それは少し前に日記でも話題にしたギムナジウムカフェ企画ブログである。
最近ちょっとした騒ぎがあった。「日本に住むドイツ人」の方から昨年末、「ギムナジウムという言葉で男子校と同性愛を連想されるようになったら困るから『ギムナジウム』という名称を使わないでほしい。実際のドイツにあるギムナジウムに男子校なんていうものは殆ど無いし、ドイツに変なイメージを持たれても困る」と批判が来たのだ。(原文は長いのでかなり要約した)
その後この方と企画者の方と話し合いがもたれて、現在ある程度解決に向かいつつあるのだが、その話し合いの流れとは全く別個に端で見ていて思ったのが、冒頭に挙げたようなことだった。

確かにEUは子供の人権に関する感覚が鋭いので、間違ったイメージが与えられることで、例えば現実の日本にあるドイツ人学校(ギムナジウム)の環境、安全が損なわれる可能性があるなどという批判者の議論は全くわからないでもない。いや、むしろ、例えばそれだけを主張して、類似事例など挙げて切々と訴えているというのならばまだしも理解出来た。
だが私にとってひっかかったのは、彼のコメントの中で、現役学生の安全への懸念よりも「同性愛とドイツのエリート高等教育組織が結びつけられることへの拒否感」の方がより強くにじみ出ているように見えていたことだった。
そしておそらくご本人は明確に自覚していないのではと思うが、その嫌悪感は、同性愛的なイメージそのものを「不愉快」に思う感覚と、「当事者でないはずの女性が」何故か同性愛的幻想を抱いているということへの嫌悪感が入り交じった類のもののようにみえた。
つまり全体として、「子供の安全への配慮、社会的正義」はむしろ口実で、ただ単に「不愉快だ。やめてほしい。」と訴えたいだけの内容に見えたということだ。

その印象を更に上塗りしたのが、一応当初の要求(=「誤解を避けるためカフェに「ギムナジウム」という名称を使うな」)に対する話し合いの決着は着いたと見られる1月12日に批判者が改めて企画者にあてて書いたコメントの内容である。彼は自分が批判した理由を説明し---そこまでは良かったのだが---同時に、なぜか「私の職場の同僚達の反応」に言及しているのである。この批判者は同僚の日本人(50代が多かったようだ)にカフェの企画webにあった内容をみせて相談したようなのだが、そこでの反応が「おかしい。気持ちが悪い。どうかしている。」というものだったと述べ、「私以外の、普通の日本の方にもそう取られるような内容であったこと、ご理解下さい」という一文を入れている。最初の書き込み時、事態が解決する前に感情的になって書き込んだ言葉というならまだしも、企画者がある程度対応した後でご丁寧にこの種のコメントが書き添えられているのには一体何の意味があるのだろうか? 
結局この人は同性愛的な美学に対する嫌悪、それと自分の常識に沿わない行動をとる女性への不快感を訴えたかっただけなのだろうとしか思えない。そのためにまだ実現すらしていない企画のため方々に連絡したり…ご苦労なことだ。

また、同時に彼は50代の男性が「未成年に対するストーカーだ。警察に通報したら」というコメントをしたという話をしているのだが、失礼ながらこれには失笑を禁じ得なかった。冷静になってよく考えてみてほしい。この程度のことで「警察に通報」を本当に実行したら「女子高生」関連コンテンツであふれ帰っている男性用風俗界はどうなってしまうのだ。

実際、現にある日本の男性用オタク関連施設、および古今東西様々な意匠を含むオタクテイストを取り入れた風俗業界の繁栄ぶりを念頭に入れつつ今回の事件を考えれば、不可解な点ばかりが目につく。
確かに、特定の国を連想させる風俗店名が国際問題に絡んで問題となった事例はあった。例えば「トルコ風呂」でトルコ政府がクレームつけたという話は記憶に新しい。相手の国の文化や心情に配慮した処置は必要である。
しかしギムナジウムカフェブログにおける誰かのコメントにもあったが、「ギムナジウム」は特定の国や団体を表す固有名詞ではない。しかもギムナジウムカフェは風俗店ですらない。
どちらかというとその性質も企画のあり方も「メイドカフェ」と同じようなものだ(注)。しかしながらメイドカフェに英国人からのクレームがきたとか、本職のメイド経験者からクレームが来たという話はあまりきいたことがない(メイドは英語)。更に考えてみれば日本では「フランス書院」という紛うことなき18禁関連を扱う大手出版社も無事経営を続けている(ついでにいえば株式会社フランス書院はBL専門のプランタン出版をも経営している)。

それなのに、ほんのちょっと女性が女性顧客向けに独自のことをやろうとしただけで異様な注目を浴び、こうした「善意」を主張する方々から叩かれたりする土壌が未だにあるのは残念なことだ(注2)。





なお、最後に付け足しておくと、男性向けの各種風俗産業および、メイドカフェも含めた趣味的な施設が社会のあらゆる層にとって喜ばしいものであるわけはないだろう。先に「生暖かい目で」と書いたのは、その辺のニュアンスも含めたつもりであった、
例えば、いかにメイドカフェ自体はお子様が行けるような「無害な」場所であろうとも、そこで展開される「メイド」というコンセプトに服従的でひたすら癒し系な女性像を一方的に求める欲望が一切籠っていないとは誰も思わないし、そういった要素を嫌だと思っている人は男女どちらにも存在する。
しかし彼らが黙っていたり、多くの場合メディアの中で見過ごされているのは、「自分にはそういうことを言う権利が無い」と思いこんでいるか、もしくは「そもそも異なる趣味、フェチというのは判り合えないものである」というしごく当然の事実を自覚しているからだ。そして全般的に見て、男性対象の性産業、またはし好、趣味的な施設についてはそのように考えてくれる人がとても多いのである。
もともと歴史的に「男性的」とされる趣味やし好は社会の中で尊重されてきたという経緯に加え(注3)、今でも彼らの方により多くの資本と権力が集まっていること。それと同時に「男性的」な文化にコミットしない人間の発言が相対的に重視されない傾向があることがこの傾向に拍車をかけているわけだ。

なお、だからといって私はメイドカフェなどの娯楽施設、または男性向け性風俗をとりたてて批判したいという気もない。とりあえず前者については自分も楽しんでしまっているし、後者については人権と法律に大きく反することが無ければ勝手にやってくれと思う。でもだからこそ同時に、よほど大きく法律や人権に問題を起こすのでない限り我々のやることにも文句言うな、口出すなという思いがある。どだい異なる趣味、し好、セクシュアリティを持つ者同士が感覚的にわかりあうことなど不可能なのだ。そういう者同士が出来るのはどれだけ互いを侵犯し合わずに共存できるかという議論だけである。「女性向け」諸施設に目くじらたてる人々はこの辺がまるでわかってないと思う。

(1/16, 2/10 一部書き直し)




(注)なお、企画としてのギムナジウムカフェとメイドカフェとの類似は「ノスタルジー性」および「ハイブリッド文化性」という点においても指摘出来る。
「ノスタルジー性」という言葉で言いたいのは、メイドカフェのイメージでしばしば19世紀英国ヴィクトリア朝の風俗が参照されるなど、現代にはもう存在しない場所、空間を想起させる要素が強いということである。「ギムナジウム」も同様に、20世紀初頭頃のドイツの寄宿制神学校(例えばヘルマンヘッセの小説の舞台など)、もしくはフランスやスペインのカトリック系列の寄宿生学校などのイメージを参照している。
次に「ハイブリッド文化性」という点について。これは何を意味するかというと、例えばとりわけコスプレ色の強いメイドカフェがそうであるように、多くのメイドカフェは日本の漫画など独自の文化的要素が混交して、英国ヴィクトリア朝から遠く隔たった、独自の文化的表現の域に達しているということである。つまり「英国の19世紀を再現する」のが目的ではなく、どこにも存在しない空想の空間を作り上げることが主眼になっているのだ。ギムナジウムカフェの目的もそこだったと私は考えている。

(注2)ここでは詳しく言及しないが、某掲示板にこの企画に対するスレがありそこでの論調が決して好意的でないのは言うまでもない。
また、この文章を書いたときは件のカフェのみならず同種の他の事例、および一連の「腐女子」関連報道のことを考えていた。そして女性とそのセクシュアリティの多様性が周囲社会と摩擦を起こすという意味からは、女性による女性向けアダルトグッズ店の事例なども念頭においている。

(注3)人類学者マリアン・アイムによると、性別分業のある多くの社会で男性(と表象されている層)がすることはその内容に関わらず高く評価される傾向にあるという。例えばガーナではタロイモを男性が主に栽培し、ジャガイモを女性が栽培するのだが、前者の方がレベルの高い仕事として評価される。また同時に、評価の高い仕事に男性がふりわけられる傾向があるのは言うまでもない。(ジェーン・マーティン、バーバラ・ヒューストン「ジェンダーを考える」インタビュー、山口智美訳『バックラッシュ!』上野千鶴子、宮台真治、斉藤環他、双風社、2006所収)

PR