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雑念手帳

サイトの日記ですが、同人サイト訪問者様用に公開されたJUNK妄想雑文メモ置き場兼ねてます。「何となくこのキャラのイメージで出てきた妄想だけど限定はしない」系の小説未満な小話がごっちゃりです。

遅まきながら風と木の詩を読んだ
三日ほどかけて、風と木の詩を読破してしまいました…
(「遅まきながら」が最近多いですけどw)

…いや、すごい。重かった…
ぶっちゃけ、私は竹宮恵子を萩尾望都と比べて「やや軽めでエンターテイメント寄り」と捉えていたんだけど、ちょっと見方を変えた。

以下、ネタバレも含むんで隠します。
まず何よりも思ったんですが、この漫画がどうしていつも「同性愛モノ」もしくは「少年愛モノ」とだけ紹介されるんだろう。この話って、充分に「子供の虐待(特に性的虐待)」も主要テーマの一つだと思うんですけど…。つまり、根底にあるテーマは萩尾の『残酷な神が支配する』を先取りしてる。

『残酷な神…』との違いは、
・ジルベールの受けた虐待が小児の時から繰り返されたものであること(つまり事態はより深刻)
・当時これが発表された日本の時代的な空気のため、恐らくは竹宮氏自身「虐待」を扱っているという意識はなく(これは憶測ですが)、それを背景に織りなされる小児性愛的関係に少し酔ってしまっているように見受けられること。(ついでにいえば、世界的に70年代までは小児性愛はさほど罰されない傾向にあったので、これは別に作者への非難のつもりではありません。当時ならそれもムリはない、といいたい。)

ってあたり。

もちろん、同性愛(セルジュとジルベール)と小児性愛もしくは少年愛(ジルベールと彼に手を出した人たち)が話の多くを占めているし、重要で美しい描写も多いのは事実です。
でも、話の中で一番重く効いてくるのは、本人も虐待の被害者であったオーギュストが子供のジルベールを相手に虐待の連鎖をやり(最初は性的なものではない)、しかも、その支配関係を維持するためにあの手この手を用いてセルジュとジルの二人に干渉し続けたってことなんじゃないかと。(更にそこに19世紀末のパリという同性愛には不寛容な社会が追い打ちをかける。)


ジルベールが子供のくせに脅迫的なまでに性に取り憑かれていたり、虐待者であるにも関わらずオーギュストを追い求めたりするあたり、多少の誇張はあるとはいえ、こういう連続的な性的虐待環境に育った人としては…かなりリアルなところがある気がします。父親に幼児の頃から虐待されて育った少女が、保護された先の里親を誘惑しようして(他のコミュニケーションの仕方がわかってないので)問題を起こす、みたいな話を思い出しましたし。
あと、集団生活になじめないという描写のくだりは、(多少の違いはあれど)多動性障害とか高機能自閉症なんかの事例をちょっと思い出させた。実際に、自閉症児をお持ちのお母さんが「息子の反応にちょっと似てる」と書いておられるブログをさっき見つけました。
「こういう事が起きると、人間はこうなるんだよね」っていう概念がまともに成立してなかったはずの70年代~80年代初頭の日本でここまで描いて見せた。竹宮さん…人間観察力が半端じゃないです。すごい。
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コメント

1. 無題

私は絵的な面も含め、萩尾さんより竹宮さんの方の描き方が好きなんですが(蛇足ですが、絵画教室の先生も同意見だったw)、より誇張されたセンチメンタリズムで、エグい事を空気のように描いてしまわれる所が、この人は本当に得意だなと。萩尾さんより"萌え"(当時にそういう意識はないでしょうが)を前面に押し出せ、しかもそれが如何にありきたりでも引き込まれずにはいられない。私は竹宮作品をこんな感じで大まかに捉えています。

って私、まともに萩尾作品読んでいないんですけどね・・・百億の昼、千億の夜とか11人いる!(族も含めて)は面白いと思いましたが、ポーの一族は何でかダメだったんですよね~。風木読破直後、手に取ってみたんですけど、もやもやとして面白いと思わなかった・・・あ、これも先生と同意見でした(笑)。

風木とポーって同時代作品だったからか、何故か同種として扱われるようですが、私は、出発点こそ同じだったけど、全く別方向へ進ませたって感じますね。
風木と同種の作品といえば、吉田秋生さんのBANANA FISHじゃないかなぁなんて個人的には考えていますが。

24年組だと、やはり竹宮さんを選択してしまいますね・・・だから、私のやおいってまるっきり竹宮系なんですよね(爆笑)。刹那的でお先真っ暗の未来見えない派。

あぁ、そういえば竹宮さん、角川では決まってお気に入りのイケメン男性編集者が担当だったそうですよ。色々な調整が本当に大変だったそうです。某方からの情報リークでした~。

2. 無題

なるほど~。
私はどちらかというと萩尾派ですね。実は周りも圧倒的に萩尾派が多いんで、竹宮さんファンのお話を聞くのはむしろ新鮮(笑
竹宮漫画に比べると萩尾漫画は確かにキャラ萌え度が低めかなって気がします。ただ、その代わり映画や実写にしやすい感じのストーリー構成を持ってきてくれるという印象がある。萩尾キャラって地味で、どこか「わからなさ」があるんですよ。漫画を読んでる私たちも、「この人何考えてるんだろう?」ってわからなくなる瞬間がある。その感覚が、現実の中で他人の行動を「よく分からない」って思う感じと似てる。だから、全体として地味で欲求不満のたまる物語になりやすいんですが、噛みしめると味があるというか、重いなっていうのが、私の個人的な意見です。
それに対して竹宮さんは、キャラの一人一人がすごくキラキラしてて、漫画のスターっていう感じ。例えば、アニメにする場合は圧倒的に竹宮キャラの方が美味しいって感じます。私は『地球へ』と『イズァローン伝説』、それと今回の『風と木』を読んだんですが、毎回気になるキャラが見つかるんですね。ただ同時に、私の好みからするとキャラがちょっと「わかりやすすぎる」印象があります。竹宮さんはサービスがいいというか、読者のまなざしを色々見通せる神様のポジションに置いてくれちゃうんです。この辺は好みですね。
あと、今回風木を読んで思ったのは、こういうことでした。キャラの魅力の力で、重いテーマをさらりと読ませるというセンスがある一方、そのさわやかさ故に、扱っている主題が軽く見えてしまうという負の効果もあるというか…。正直、一巻だけを読みおわったときは「こりゃだめだ。軽い。」みたいに感じちゃったんですよね(すいません)。最後まで読んでようやく、「そうか、表面は甘口だけど実は結構しっかり計算されてるし、すごい重いんじゃん」とようやく分かる感じがしたという。
萩尾さんの場合もそうですが、長所は短所にもなり、短所が長所にもなるという感じがします。

ところで風木と同種の作品って、『ポーの一族』よりも『トーマの心臓』な気がします。後者の方が古いんで、尚更はっきりと何が起きているのかを説明していない、わかりにくい話になってますが…w

それにしても、毎回イケメン男性編集者ってイイですねww
そういう情報、楽しいですv

3. 無題

わたしにとって「風木」は、高校時代に立ち読みして挫折して、5年くらい前にやっと読破したという因縁? の作品ですこれ(当時友人に「とうとう……」みたいなことを言われたかも、だからもっと早くコメしたかったのですが、出遅れてこんなあほを晒す羽目に……)。
おっしゃられていること、なんかわかる気がします(萩尾作品のがキャラ萌え度低め、って、なぜ納得がいくのだろう?)。
ジルベールは、「女の厭なところを持っている男性にモテる美少年」というわたしが嫌いなキャラかつ「誘い受けの元祖」かと思ってましたが、読んでみて圧倒されました。思ったより単純じゃなかったという印象が(でもラスト近くで女の子とむにゃむにゃ、というのはできるの、と意外に思ってそれを真っ先に感想に書いた気が→こいつはー)。
わたしは「どんなタイプの話でも」、「理解者のふりをして若いキャラを束縛するキャラが大嫌い」なので、オーギュは当然嫌いです。いちばん好きなのはパスカルかな? 今過去日記にある感想を読み返すと(既にサイト始めてました)、反省点が多々あるのですが(汗。抹消しようかな)。
竹宮作品で他に読んだのは「私を月までつれてって!」。萩尾作品だと「トーマの心臓」「アメリカン・パイ」。あと去年、お付き合いのあるはてなダイアラーさんの記事に突き動かされて「完全犯罪――フェアリー」を読んでえらい苦労しました(なぜか登場人物区別つきにくかったんですごめんなさい。萩尾ファンの方のトコでこんなこと書いて。昔どうやって「トーマ」読んでたんだろう、と謎に思えてきたほどです。なんか書いていたら漫画に関する新規開拓能力が止まりそうで、自分が怖くなってしまいました)。再挑戦したいです。長文失礼しました。

4. 無題

確かに、ジルベールって一筋縄ではいかないですよね~。誘い受というのともまたちょっと違うし。
ラスト近くで女の子と、というのは私、ぶっちゃけ萌えました(笑
もともと受×受みたいなハプニング組み合わせが大好物なのでw
やった後手のひらを返すように女の子につれなかったですけど。
でも、女の子がジルに「意外とやさしんだね、あんた」(だっけ?)とか言うのを読んで、どういうHをしたんだ…と ハァハァ(*´д`*)。いっつもやられてる子のヘタレ攻、最高ですwww

…ごめんなさい、つい自分の萌えにひたってしまいましたυ

オーギュは私の中では「虐待者」のポジションなので、好きになる対象ではないですね~。ひでえなというのと、痛ましいなという感情が混じった感じです。パスカル…あんなに重要なキャラになるとは思わなかった。いいヤツですけど…。
「完全犯罪」は私も読みましたが、歌の歌詞がちょっとうるさくて読みづらかった記憶があります。歌詞自体はいいんですけど。
そういえば、「風木」と比較するんだったら、『残酷な神が支配する』なんか結構面白いのではないかと思いました。

5. 無題

>風木はトーマ
あ!そうですね、そっちですね。うん。
素で間違えてました。
残酷は確かに風木ですが・・・風木のような軽さは全くないですね。いや風木が軽いという訳では決してないのですが、まだ物語の範疇と言うか・・・現実味を帯びた性虐待を扱っているとあると残酷でしょうね。
この痛々しさに勝るマンガはそうそうない。

6. 無題

痛々しいって言えば確かにそうですねえ。
作者さんのテイストが違うだけじゃなくて、書かれた時代も違いますし…
風木の時代は同性間の性描写自体がギリギリ。
かたや、残神は性的虐待がメジャーのメディアにも載り始めた頃に連載始まってますしね。

7. 無題

2008年にお書きになった記事にコメントしてごめんなさい。でも、洞察の深さにすごく共感できました。私は「風と木の詩」を読んで拒絶感でいっぱいになってしまいました。決して批判ではありません。単なる感想です。
同性愛は完全にOKですし(愛が同性だろうが異性だろうがそんなに違うだろうか?)、この作品が倫理的に問題があるとか、そんなこというつもりはないです。ただ、気分が悪くなったのです。
この物語の核は小児性愛と、虐待の連鎖です。私は悲惨な物語だと感じました。でも多くの人は「麗しの少年愛」と感じているようで、そこに違和感を覚えてしまいます。私が気持ち悪くなったのは、小児性愛の世界を「耽美」に描き、作者も読者も、酔っている、萌えている、悦んでいる、と感じたからです。とはいえこの作品を描ききった作者の手腕はすごいと思います。70年代だからできたのか、それとも70年代にこれをやってのけたのが凄いチャレンジだったのかはわかりません。昔は確かにブルック・シールズとか、現在より小児性愛に対する警戒心が低かったとは思います。

8. 無題

コメントどうもありがとうございます(´∀`)
昔の記事に感想をいただけることって滅多にないので嬉しいです!恐れ入りますm(_)m

「風と木の詩」に拒絶感が起こるという感覚、私も何となく分かります。実際、本文でも書いたように、私もちょっと「うわっ…」と思いました。セルジュとの絡みは腐的には割と素直に読めたんですけど(色々苦しい感じだなとは思ったけど)、オーギュとの話は辛くて。
だから日記のこの記事になったのです。

あと、竹宮さんの頃とはやはり時代が変わったんだろうなあとも思ってます。
ブルック・シールズをご存じなのですか^^
私は昔、現役高校生くらいの時『プリティ・ベイビー』(シールズは12歳の娼婦役)を見て、彼女に魅せられると同時に、何だかすごくいけないものを見た気がしたのを覚えています。今はもうあの映画は撮れないらしいですね。18禁になってるし。
あと最近のネタでは、彼女の10歳の時のヌード写真が裁判沙汰になって、英国かなんかで展示できないことになったり。訴えていたのは女優本人で、写真はトラウマになっていたのだそうです(映画については知りませんが)。
あと、別の本で読んだ話なんですが、アメリカあたりだと60-70年代の一時期は「子供の性も解放すべきだ」という主張を行う団体がいたという話も。とにかく欧米もすごく今と違っていたみたいですよ…。
日本の70年代は…どうだったんでしょうね?
少女漫画ではすごいタブーだった気もするけど、大人の世界では結構あったのかなとも思ったり…。今でも、日本は性のタブーがある一方で、アングラ文化となると子供を性的な目で見ることに抵抗感がやや薄いかなとも思います。
改めて色々と考える機会をどうもありがとうございました…!

9. 無題

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10. 無題

私は、ジルべ-ルだと、感じていました。 それが、私を、親にすることを躊躇させている原因でもあります。 私も、ジル藻、成長できないからです。ジルとは、統合失調症患者であり、世の中のすべてに対して、批判的であるひとだと思うのです。でも、なんで、世の中に、溶け込めないのでしょうか?オーギュは、世の中のの規範を押しつけてくる、親、大人そのものなのではないでしょうか?ジルは、なぜいつも、嫌われ、outsiderなのでしょうか? それは、ジルが、異性愛に踏み込まないで、親になろうとしないからでしょうか? ジルの謎は、私自身の謎でもあるのです。どう、かんがえますか?

11. 無題

レスが遅くなり失礼してます。
そしてコメントどうもありがとうございます。

ジルが「統合失調症患者」であるかどうかは私にはわかりませんが…
どう…でしょうねえ?

私個人は、ジルのような人が死ななければならなかったのは、19世紀のフランスという社会の厳しさも一因だと思っています。要は、当時というのは、今のフランスと比べれば格段に、変わっている人は生き残りづらい社会ですから。
今のフランスなら、別に同性愛者でも親になれますし(ちょっと苦労はしますが)、そもそも別に親にならなくたって適当に生きていけますし…
まあ、ジルが今の時代に生きていたら、また別の形で苦しんだのかもしれませんが。

amyさんご自身のことは、私の方からはよくわかっていないので、何とも申し上げることが出来ませんが、とりいそぎ、ジルベールについてのみ書かせて頂きました。
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